2018年3月21日水曜日

まけない議論のやり方 (自分の頭で考える哲学的思考法2)


 今回は、「自分の頭で考える哲学的思考」の2回目として、
「真の反駁法(まけない議論のやり方)」
 についてお話しいたします。

1回目から読む場合は、こちらの記事をご閲覧ください。
「無知の知」はソクラテスの落胆だった? (自分の頭で考える哲学的思考法1)


 僕の父は、学生の頃から一度も議論にまけたことがありませんでした。

 なぜ不敗の議論ができたのか?

 その秘密を、生前に父は僕に明かしてくれました。

 それは、父が哲学者だったからです(笑

 西洋哲学を専攻していた父は、
「ソクラテスが、アテネの賢者たちと議論をして全勝した方法」
 すなわち、
「正しい議論のやり方(問答法)」
 というものを知っていて、それを実践したからなんですね。


ソクラテスによる「正しい議論のやり方」


 古代ギリシャの大哲学者であるソクラテスは、『議論のやり方』について考察しました。

 まず、世間一般で頻繁(ひんぱん)に見られる「まちがった議論のやり方」というものを検証しました。

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まちがった議論のやり方

① 水掛け論(みずかけろん)
 お互いに「自分の意見が正しい」と主張し合うだけの議論のことです。
 どちらも「自分が正しい」と言ってゆずらず、相手の話を聞こうともしません。
 それこそ、バケツの水をぶっかけ合うかのように、自分の意見を声高にぶつけ合っています。
 こんなものは「正しい議論」とは言えません。


②罵り合い(ののしりあい)
 お互いに「おまえはまちがっている」と主張して、罵倒(ばとう)し合うだけの議論のことです。
 どちらも頭ごなしに相手の意見(もしくは相手そのもの)を否定して、相手の意見が正当であるかどうかについて考えようともしません。
 どちらも相手を罵倒することに躍起(やっき)になっています。
 こんなものは「正しい議論」とは言えません。
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 古代ギリシャにかぎらず、現代でもこのような議論はいたるところで見受けられるのですが……(苦笑

 ソクラテスは、「こんな議論のやり方ではダメだ」と思いました。
 そして、
「正しい議論とは、どういうものなのだろう?」
 と考えました。

 その結果、たどり着いたのが、
「真の反駁法(しん・の・はんばくほう)」
 という方法だったんですね。

以下、読みやすいように「反駁」を「反ばく」と表記します。


真の反ばく法(まけない議論のやり方)


「反ばく」というのは、「反論する」という意味です。
 つまり、相手の意見や主張を否定することです。

 と言っても、頭ごなしに否定するわけではありません。
 だからこそ「真の」が付いているんですね。

 真の反ばくは、相手の意見や主張をひとまず肯定し、肯定を前提にしたことにより生じる矛盾点を指摘することによって――

 ……って、こんな学術的な説明じゃかえってわかりづらいですよね(苦笑

 要するに、

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 まず、「相手の言っていることが正しい」と仮定してみよう。

 そして、相手の主張が『全面的に正しい』と仮定した場合、どうなるのか――
 何か問題や、矛盾していることは生じないのか――
 それを考えてみよう。

 もし問題や矛盾があるのなら、それを指摘しよう。
**********

 という方法です。


 そして、相手がこの反ばくに対して反論してきたら(ちがう主張をしてきたら)、また「真の反ばく法」を用います。

 つまり、
「相手のその反論が『全面的に正しい』と仮定した場合、何か問題や矛盾していることは生じないだろうか? もし矛盾が生じるのであれば、それを指摘する」
 ということを、相手の反論に対してもおこないつづけるのです。


ソクラテスが議論で一度もまけなかった理由


 ソクラテスは「真の反ばく法」を使って、アテネじゅうの賢者と議論をしました。

 たとえば、
「火こそが究極のものであり、真理(しんり)である」
 と言って火を崇拝(すうはい)している賢者と議論をしたとします。

**********
「なるほど……あなたの言うとおり、火が究極の真理であると仮定しましょう。
 しかし、火が究極だと言うのなら、水によって火が消されてしまうのはどういうことなのでしょう? なぜ究極であるはずの火が、水に打ちまかされてしまうのですか?」

「…………」

「また、火が究極の真理だと言うのであれば、人間が火をあやつっているのはどういうことなのでしょう? なぜ究極のものが人間の意のままにあやつられているのですか? この場合、『火は人間よりもおとるもの』ということになるのではありませんか?」

「……………………」
**********

 とまあ、こんな調子で「真の反ばく」をくり返したんですね。
 相手が何も言えなくなるくらいに(笑


 ソクラテスが「真の反ばく法」を使ってアテネの賢者たちと議論をした結果、心ならずも全勝してしまったのには理由があります。

どんなに立派な主張であれ、
どんなに優れた理論であれ、
この世界のどんな事であれ、
かならずプラス面とマイナス面が存在するからです。

 だから、「真の反ばく法」を使うと、かならず相手の主張を否定できてしまうんですね。

ソクラテスは、「真の反ばく法を使っても否定できないものこそ本物の真理だ」と考え、真の反ばく法でも議論に勝てない相手(本物の真理を主張している人物)をさがしてアテネじゅうの賢者を訪ねてまわりました。

どんなことにもプラス面(肯定要素)とマイナス面(否定要素)の両面があり、絶対的ではないことが人間の知能では『真理(究極のもの)』を知ることができない理由です。


この方法だと、議論で勝てない?


 いまこの記事を読んで、
「オイオイ、ちょっと待て!」
 と思った人もいるかもしれませんね(笑

「相手の主張の矛盾点を見つけて、それを指摘する――それだけじゃ議論に『勝った』とは言えないだろう。
 自分の意見を相手に認めさせてこそ『勝った』と言えるんじゃないのか」

 そのように思った人もいるかと思いますが……

 じつは、そのとおりです(笑
 この方法、厳密に言うと議論で勝てません。

 もういちど、この記事のタイトルを読みなおしてみてください。
まけない議論のやり方」と書いてありますよね。

 そう、この方法、「議論に勝つ方法」ではなく「まけない方法」なんですね(笑

 だって、まけるはずがありませんよ。
 相手の矛盾を指摘しているだけ――いわば、ずっと攻撃しているだけなんですから(笑

 相手側の矛盾を指摘しているだけで、自分の意見を主張していないので、ある意味、議論をしていません。
 だからこそ、まけることがないんですね――議論そのものをしていないのですから。


 この方法、まけない方法ではあるのですが……

 でも、相手のほうは「まけた」と思うはずです。
 議論のあいだじゅう、終始(しゅうし)、自分の主張を否定されつづけるのですから。

 実際、ソクラテスと議論した賢者たちは、敗北を認めていますしね。

 父と議論をした人たちもそうです。
 父自身は『勝った』とは思っておらず、「哲学的なやり方で議論した」という意識しかなかったのですが、相手のほうは惨敗を認めていました。
 絶対に正しいと信じていたことを、父に「これでもか」というくらいに正当な論理で否定されてしまったからです。


哲学的思考を身につける前段階が終了


 ここまでお読みになったあなたは、「哲学的思考法(自分の頭で考える方法)」を理解する準備がすでに整っています。

 というのも、ソクラテスが考案した「真の反ばく法」は、哲学思考の基礎となるものだからです。

 次回は、
「総合的に考える哲学的思考法」
 について、お話しいたします。

 次のお話を読む


自分の頭で考える哲学的思考法
「無知の知」はソクラテスの落胆だった? (1)
まけない議論のやり方(2) 当記事
総合的に考える方法①(3)
総合的に考える方法②(4)
弁証法でレベルアップする方法①(5)
弁証法でレベルアップする方法②(6)
本質を突き詰めていく思考法(7)


更新
2019年6月5日 文章表現を一部改訂。

この記事は、哲学者だった本条克明の父が、西洋哲学の知識のない本条克明にもわかるようにかみくだいて説明してくれた内容をほぼそのままお伝えしています。父から子へ伝えられた智恵であるため学術的な知識ではなく「人生で役立つ話」として哲学が語られています。「学問」ではなく「実践のための哲学」として語られた内容であることをご了承のうえ、ご参考ください。