2018年3月20日火曜日

「無知の知」はソクラテスの落胆だった? (自分の頭で考える哲学的思考法1)


 当サイトにて、「自分の頭で考えることが個性のはじまり」というお話をいたしましたが――

こちらをご参照ください。
自分の頭で考える それが個性のはじまり


「いきなり『自分の頭で考えなさい』なんて言われても、どうやって考えればいいのかわからない」
 という人もいるかと思います。

 今回からしばらくのあいだ、
「自分の頭で考える哲学的思考法」
 について、お話しいたします。


 ところで、
「無知の知(むち・の・ち)」
 という言葉を聞いたことがありますか?

 聞いたことがある人もいるかと思います。
 そして、↓このような意味として教わっていると思います。

**********
 古代ギリシャ時代、哲学者のソクラテスは、
「私は『知らない』ということを知っている」
 ということを悟(さと)り、「無知の知」の境地に至った。
**********

 といった感じで、
「『無知の知』とは、ソクラテスが体得した高尚(こうしょう)な悟りのことである」
 というふうに一般的には解釈されているのですが……

 事実は、そんな大それたものではなかったりします(笑

 だって、「無知の知」というのは、ソクラテスの落胆(らくたん)だったのですから。


「無知の知」とは?


どれが本物の『真理』なのか――見分ける方法をソクラテスは考えた


 古代ギリシャ時代――

 ソクラテスは、
「真理(しんり=この世界における究極のもの)とは、いったいなんなのか?」
 その『答え』が知りたいと、誰よりも強く熱望していました。

 当時、ソクラテスが住んでいたアテネには「賢者(けんじゃ)」と呼ばれている人たち(あるいは自称する人たち)が数多く存在していました。

 その賢者たちは「私は真理を知っている」と主張しており、人々の尊敬を集めています。
 ですが、賢者たちの言う『真理』は、みなそれぞれ異なっていました。

 ある賢者は、
「神話の神々こそが真理だ」
 と言っています。

 べつの賢者は、
「火こそ究極のものであり、真理である」
 と言って、火をあがめています。

 またほかの賢者は、
「水こそが真理そのものである」
 と断言しています。

 まさに「賢者の数だけちがう真理が存在している」というありさまです。
 ですが、真理とは「この世界における究極のもの」なのですから、ただひとつのはずです。

 誰よりも誠実に「真理を知りたい」と望んでいたソクラテスは、
「賢者たちが主張している数々の真理のなかで、いったいどれが本物の真理なのだろうか?」
 と思いなやみます。

 そしてソクラテスは、「本物の真理を見きわめる方法」を考案します。

「『正しい議論の方法(問答法)』を使って、賢者たちとひとりずつ議論をしてみよう。
 もしそれで私が勝つようであれば、その賢者の言っていることは真理ではない。
 だが、もし私がまけたときは――その人物の言っていることが本物の真理だ!


『正しい議論の方法』で賢者たちと議論 その結果……


 かくして、ソクラテスは旅立ちます。
 アテネじゅうの賢者をひとりひとり訪ねてまわり、『正しい議論の方法』を使って議論をいどみます。

「議論で私がまけるとき――そのときこそ、本物の真理がわかるときだ!」
 その熱い思いを胸に、議論の旅をつづけます。

 自分がまける日を、心から期待して――


 ソクラテスは、アテネの賢者をひとり残らず訪問し、そして、全員と議論しました。

 その結果――

 全員に勝ってしまいました(笑

 そしてその勝利は、
「アテネじゅうの賢者を訪ねて旅をしたというのに、本物の真理を見つけることはできなかった」
 ということを意味しています。

「なんということだ……」

 ソクラテスは、失意のなかで思います。

「賢者といわれている人間がこんなにたくさんいながら、本当の真理を知っている者はひとりもいなかった。
 彼らは賢者などではない、おろか者だ。本当は知らないくせに『知っている』と思い込んでいる。
 これじゃ、『真理については何も知らない』ということを自覚している私のほうが、ずっとマシじゃないか……」


 これが、「無知の知」の真実なんですね。

 どうしても『真理』を知りたかったソクラテスが、アテネじゅうの賢者を訪ねたにもかかわらず『真理』を知ることができなかった――

 そのときに実感したことなんですね。
 がっかりした思いとともに。


自分の頭で考える(哲学的思考)の秘訣がこのエピソードに秘められている


 なぜ今回このお話をしたのかと言うと、じつはこのお話のなかに『自分の頭で考える方法(哲学的思考法)』の秘訣(ひけつ)がかくされているからです。

 このお話の、どの部分かと言うと……

 そうです、ソクラテスが使った『正しい議論の方法(問答法)』です。

 このときソクラテスがもちいた議論の方法は「哲学的思考の原点」と言えるものなんですね。


 次回は、ソクラテスがもちいた、
「正しい議論の方法(まけない議論のやり方)」
 について、お話しいたします。

 次のお話を読む


自分の頭で考える哲学的思考法
「無知の知」はソクラテスの落胆だった?(1) 当記事
まけない議論のやり方(2)
総合的に考える方法①(3)
総合的に考える方法②(4)
弁証法でレベルアップする方法①(5)
弁証法でレベルアップする方法②(6)
本質を突き詰めていく思考法(7)

更新
2019年6月5日 文章表現を一部改訂。

この記事は、哲学者だった本条克明の父が、西洋哲学の知識のない本条克明にもわかるようにかみくだいて説明してくれた内容をほぼそのままお伝えしています。
 哲学の専門家が素人の本条克明に話した内容であるため若干の誇張があるかもしれませんが、そのぶん「知識」ではなく「人生で役立つ話」として哲学が語られています。「学問」ではなく「実践するための哲学」として語られた内容であることをご了承のうえご参考ください。